2013年10月31日木曜日

アルバムレビュー ゆらゆら帝国 「な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い」


ゆらゆら帝国は日本のスリーピースバンドでした。

彼らの録音音源は、一貫して「音色のデザインテーマとしたスタイルが取られました。
アナログ機材中心の積極的な音の加工や組み合わせ、発掘が試され、その試行錯誤の結果によるバラエティ豊かなトーンによるスカスカな録音作品が残されています。
彼らのそうしたスタジオ音源制作の特徴に「奏者自ら消えること」が積極的に制作方法として取り入れていたことが挙げられます。
性別の違う無名ボーカルに代わりに歌わせる、ライブで使用する楽器の代わりに別の楽器を入れる、ライブのバスドラムのトラックだけ抜き出して使う、機械に演奏させる等、様々な工夫がみられます。この辺を見ていると、ゆらゆら帝国は積極的なサンプリング世代とも言えますね。さらに良い音楽を作るパーツとしての自分たち、という位置づけだったそうです。
この頃のインタビューを読んでもわかりますが、彼らはスタジオ作品に、自己の肉体の消失」を要素として含ませるチャレンジをしていました良い音楽を作る、その活動を自分たちのパーソナリティが邪魔することを拒んでいました。そしてその要素は、オーディエンスからはもちろん、奏者である自分たちからもある程度距離のある録音作品を作り出したいという意欲から取り入れられた要素でもありました。

一方で彼らのライブは、積極的に自らの肉体感を出すことがテーマとなっていました。
ステージ上で彼らは一般的な3ピースロックバンドの編成で演奏を見せます。
そこにはコンガの音も、かわいらしい女性コーラスも、歪んだ尺八の音も、メロトロンの音も、クリック音をファズ加工した音も、ありません。
楽器のトーンの種類がスタジオ音源と比べて格段に限られ、バラエティ豊かな音色とは異なった、三人とPAだけの、さらにスカスカの音が鳴らされていました。
彼らにとって音源とライブは明確に区別され、完璧に作って残す作品」とまったく別の、「そこだけの見世物」としてのステージがありました。
カセットの音が好きな坂本慎太郎は恵比寿でのライブ後、自分たちのその日録ったライブ音源をふとラジカセにつっこみ、コンプレッサーをかけてみました。
バンドがライブを録ってそのまま音源にして売っている、いわゆるライブ盤と呼ばれるものを普段あえては聴かない彼ですが偶然にも潰れた音に感銘を受け、そして録音された各パートごとエフェクト処理、編集を施し、彼はこれなら録音作品として世に出してもいいと思ったそうです。つまり上記の、ライブトラックをパーツとして使った作品作りの延長としてこの作品は生まれました。
このCDをかけると
まずふぁいふぉー」と坂本の叫び声が聞こえ、コンプレッサーによりさらに増幅された"午前3時のファズギター"のギター・ソロからスタートします。
一向に止まらず激しい音を出し続けているギターの裏で、ドラムとベースだけ、滑るように別な曲へ移行していきます。
そのままギターのフィードバックが続き、ボーカルエコーの効いた"ハラペコのガキの歌"へ。
アウトロで「あー」という平坦な声が数秒持続しそのままスタジオ盤はsuicide的テクノパンクだった曲が、一変してガレージロック化した"誰だっけ"へ。
そしてボーカルとドラムにエフェクトが編集追加された、"侵入"に入ります。
ドラムの音の端っこを拾って加工して作ったようなコロコロ……という音、スネアにかけたディレイのスピードを増加させながら流れる音が終わりギターはフィードバックのまま"無い!!"のイントロへ。(この曲はNeu!のパロディだと思われます。)
スタジオ盤ではキーボードの部分で奏でられる部分をオクターブ下げてベースが弾き、変拍子ギターリフに合わせて四拍子の歌が乗り、さらに延々とアコースティックギターがライン取りされたものにディレイが重なるアウトロへの導入ではなく、シャウトにあわせてファズギターソロ、というアレンジのアウトロがスタート。ラストはファズでコードを弾いている上にスタジオで追加したトレモロ加工というライブ音源を編集したこのアルバムならではの面白い音像が作られています。
そのまま、ライブハウスで観客側で録ったブートレグを想起させるような音像加工がされ、サーッという音が終始流れる、"バンドをやってる友達"がスタート。
スタジオ盤では女性ボーカル、コンガとベース、木琴、間奏だけ入ってくるギターの音が特徴ですが、このバージョンは完全に男のスカスカスリーピースバンドサウンドが流れます。
拍手が入り、これもスタジオ盤では女性ボーカル収録されていた"恋がしたい"へ。
ギターはスタジオ盤のワウギターサウンドとは打って変わって、コードアルペジオを弾きながら坂本が歌っています。
スタジオ盤のサックス等もピアノもありません。間奏の管楽器ソロも、テープエコーをかけたギターソロに変わっています。
そして、祭りばやしのようなリズムの"夜行性の生き物3"がスタート。スタジオ盤のカラっとしたデュオソニックのギタートーンは、太く歪んだSGギターサウンドに代わり、ギターソロはアルバムで聴けないファズによる更に太い音が鳴らされます。
そしてツイスト・アンド・シャウトのオマージュを感じる、"貫通"は、アルバムでは単音だったギターリフが、コードで鳴らされ、毎回のギターソロもハイの効いたファズではなく、太いファズサウンドに変わっています。この"貫通"の大音量のライブ感を全面に出した間奏が始まった瞬間、前置きもなしに、突然ラジカセのカチャカチャっとボタンを押した音、「通りの車の音がうっすら聞こえている、静かな家の中」に場面は移動します。
数秒後、急激な爆音ファズギターと、縦横無尽のベース&コンプレッサードラムノイズが流れ始め、急激な音量差、編集作業を利用したアレンジがなされます。
この曲のノイジーな間奏は、アルバム音源の鈴やコロコロ打楽器系のサウンドでななく、そうしたメタ的なライブ音源加工アレンジ、パート全員一体となった轟音アレンジへと変貌を遂げています、。
この轟音ソングが終わると、アルバムでは小さな女の子が無理やり歌わせられているような"ボタンがひとつ"の男三人バージョンがスタート。もちろんアウトロのつたないピアノもなく、ソロもなく、とてもシンプルな弾き語り系アレンジとなっています。
ラストはバラード、"星になれた"
スタジオ盤に比べ、全編ベースがメロディックに変化しており、ピアノ、口笛、女性コーラスはなく、基本的にはさまざまな音を抜いたアレンジになっています。アウトロはピアノの鳴り響くアレンジではなく、ギターがかき鳴らされ、メロディックないわゆる泣きメロ的ファズベースソロ乗るアレンジに変化しています。アウトロが終わりに近づくにつれ、コンプレッサーがドラムに強くかけられていき、最後は爆発音のようなドラムと、一人だけ鳴らされ続けるギターでこのアルバムは終わります。

こうした、ライブ編集盤ならではの工夫によって、"な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い"は単なるライブアルバムから一歩、制作物としてのおもしろさを生んでいます。彼らは、音源では自分たちが素材になり、ライブは素材が生のまま出る、という明確な録音とライブの区別を図り、そして「ライブの演奏を素材にした、録音物を作る」というコンセプトで、この一枚のアルバムを作り出したのです。
アルバム"ゆらゆら帝国のめまい""ゆらゆら帝国のしびれ"を同時発売し、ファンにたくさんお金を使わせてしまった、という理由でこのライブアルバムは1050円という値段になっています。当初、坂本慎太郎の提案に対して、社長はさらに大幅に値下げを加えて、1050円で快諾してくれたようです。

2013年7月30日火曜日

2つ

ゆらゆら帝国に「星ふたつ」という曲がある。

双子の兄貴は消えた 夜が明けるように消えた
弟は町を探した 朝もやのなかを探した
それはたぶん 霧の中で君が見た 影法師さ

すきまとすきまを寄せて 見えないテープでとめて
とれない程度にきつく 死なない程度にかるく
だけどほら 水の中へあふれ出す 泡の粒が
波の中で身をまかせて
楽しそうに光りながら

夜中は昼間のために 昼間は夜中のために
双子の兄貴は消えた 弟は町を探した
ぼくら今 波の中で身をまかす 泡のように
追いかけたり 追いついたり
楽しそうに光りながら


双子の兄貴を探す弟
しかしそれは影法師なのである。
泡は、儚く消え、死のイメージを彷彿とさせる。
彼らは波の中で、泡のように。
楽しそうに、光りながら。




兄弟の死が逸話として語られ
自らを2つの頂点と呼ぶ「Aphex twin」
彼が死んだ兄へ追悼の意を込めて作られた
「Richard D James album」


死をイメージとして含んでいるアーティストはスカスカで、芯の太い音を選ぶようだ。


2013年5月8日水曜日

つれづれ一曲レビュー

ゆらゆら帝国
「ゆらゆら帝国のめまい」「な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い」
そのどちらのアルバムにも、最後に飾られる、メジャーセブン系の三拍子の曲がある。
それは「星になれた」という曲である。

星になれた、could be star
星になることができた、
それは死のイメージである。

彼女は、星になれた。だけど、今もそばで羽を磨いているような。そんな気がしている。

彼女はそれまで何をしていたのだろう。
どんな、「彼女」だったのだろう 。


「羽が生えた人たちは とうに飛び立ってしまった」

「だけど今もそばで羽を磨いてるような 」
この部分に注目すると

●今も=それまでもやっていた
●羽を磨く=死に近づく人は、羽が生えた人たちである。そして、死の条件である羽を磨く、ということはすなわち死に近づくことを達成するために、羽を磨くということだ。

そのイメージの集約は
彼女は、今まで死に近づこうとしていた、ということである。

そんな彼女が、星になれたのだ。


なましびれなまめまいに収録されているライブ版は、そのアウトロで、まるで魂が天に昇る様をイメージさせるかのような、美しいファズベースラインが聴ける。スタジオ盤は、女性コーラス、キーボード、口笛、がスカスカに散りばめられている。